建物について
登録有形文化財の当家は、当社代表の澁谷の生家である。
19世紀中ごろに建てられたあと、多くの改造・改装がなされている。しかし近世の大型農家の基本的な構造は良く残されており、土間や居室の配置は但馬地域の同様の建物の事例と共通する点が多く、さらに明治期の2階部分の増築は、当地の産業である養蚕業を反映しており、また与次郎組など他地域とつながる特殊な小屋組みも明らかとなっています。出石川(いずしがわ)の源流が近く、京都府の宮津、福知山、兵庫県の豊岡市の中間となる山間部にあります。この地域は江戸時代には絹織物を京都西陣におろしていた関係で、「日本国内におけるシルクロードのまち」として絹織物の産地として知られています。建物西側には丘陵の山裾が迫っており、山から引かれた水が敷地内の庭池を通り、東へ流れるよう構成されている。その南側を「主屋」などの主要な建物が並び、建物正面の道路際には塀が配置されています。中山の集落は宮津から但馬や福知山を結ぶ交通の要衝にあり、豊岡市指定史跡の旧金倉山金蔵寺城のふもとにある。渋谷家住宅は当家の覚書によると、機織・金融業をはじめとして、著名人の宿としても利用されており、学校の始まりや郵便局業務をされた等の変遷があります。